ROでの知り合いのM女史と「ヱヴァンゲリヲン劇場版:序」を観に行こうという話になる。で、行って来た。
きちんと時間決めておこうと言ったのに、「いいよいいよー、テキトーに合流しよう」とか、俺を上回るいい加減ぷりのM女史のせいで、合流に手間取った。合流前に真昼と電話してたら、電池切れてあわてて充電機買いに走るハメになるし・・。
反省してください。
[EVANGELION]
さて、俺の専門の見地からいえば、「ヱヴァンゲリヲン」というつづりは間違いで、旧作の「エヴァンゲリオン」が正しい。もし、上記のように綴りたいなら、「WEVANGELIWON」というスペルでなければならない。庵野か誰かが思いつきでそうしたのだろうが、失笑もののタイトルだ。
あるいは、実は中身の空疎な「雰囲気」重視のEVA世界を象徴するにふさわしいおどろおどろしくも空疎なタイトル、といえなくもないが、穿ちすぎだろうな。
・・というように、俺はEVA世代にあって、EVAがそんなに好きではない類の人間だ。EVAの本質は、こけおどし・雰囲気だけの内容空疎なアニメと思っており、この、いはば、雰囲気「力」が強力な感染力をもって、一時代を築いたのだろうと考えている。EVAを観て育った世代が次に夢中になったのは同人であれば「月姫」「ひぐらし」、文藝なら西尾維新、電撃文庫、アニメ・・ そうそう、一部で「涼宮ハルヒの憂鬱」をして、「EVAの後遺症から日本を脱さしめた」との評が起こったし(勿論、俺に言わせれば勘違い)、その影響力はなかなか侮りがたいものだった。
オタ、と形容されるアニメ・漫画などの世界は今猶、EVAの文脈の延長にあるし、おそらく、この文脈から外れることは出来ない。因果とはそういうものだからだ。今後、EVAへのカウンターブームが来るかどうかはビミョーなところだが(俺の考えでは)、一方、別の人が別の見方をすれば、EVAなんぞとっくに超越せられているのかもしれん。
ともあれ、EVA文脈というのを假に措定してみるとして、その延長上で今回の劇場版がどう感ぜられたか、というのが問題になるかと思う。
[劇場版:序]
能「エヴァンゲリオン」とか奇矯極まる催しがあったから、世阿弥の説いた序破急をタイトルに持ってくるのは、なかなか姿勢が統一されていてよい。・・にしても、今度は新劇場版かぁ。今更だなぁ。話、アレで終わりでいーじゃん。どうせエヴァオタどもが釣れるだけだって。ぁー、記事でバカにするために観にいくかなぁ・・
・・とまぁ、こんないい加減な気持ちで観に行ったのだった。そして、そんな俺だが観終わったあとは、「ヒャッホゥ、観にきてよかったー!」とか叫んでいるのだから、現金なものだ。
なるべくネタバレをしない方向で書く。
まず、最初の感想として、TV版と異なる物語の描かれ方がある。TV番は多くの謎を謎として、引っ張る伏線重視の物語だったが、今回の劇場版では、全体的に視聴者に劇の構造が見えるようなクリアな作りに替えられている。その理由としては、劇場版ゆえの時間制約による方法論があろうし、また、TVシリーズとは異なるコンセプトの元、作品を解体、構成した結果なのだろうとも受け取れる。
この解体→構成しなおしの仕事が素晴らしい。ネットで散見される感想で、「TV版と大して変わらない、ただのダイジェスト」といった感想があったが、これは完全に誤り。よくよく見れば、ストーリー導入部をいかに工夫して構成しなおしているかが汲み取れるはずだ。
それに乗じて、碇シンジという少年の全体像が見直されている、ということも感じられた。勿論、臆病で自閉気味の少年ということには違いないが、劇場版では、TVシリーズのように、どこか地に立っていない不思議な少年という印象は消え、本当にどこにでもいる少年のにおいがするようになった。
恐らく、この主人公像の微妙な変遷は今後の展開に大きく関わるに違いない。
それから、映像の素晴らしさはさすがにガイナックスの劇場版だけある。俺は門外漢なのでそれ以上のことは言えぬ。
ともあれ、結論は続く「破」を待つ、の一言しかない。
多くの人が見に行ってよかった、という点にあげる次回予告だが、俺はこっちには特に感心しなかった。次回予告は所詮次回予告にしか過ぎない。
[]
>>全体的に視聴者に劇の構造が見えるようなクリアな作りに替えられている
どのへんですか?
月にいるリリスといい、相変わらず伏線で引っ張ってく気、満々じゃないですか。
クリアに感じたんだとしたら、それは一回最後まで視聴してるからじゃないですか?
一度、旧作を見てしまっている以上、初めてエヴァを見た時と同じ視点で語ることは不可能です。
旧作では確か「日本中の電気をあなたに預けるわ」だったのが電気→命運(だっけ?)に変えられてしまった点でも、かつての前半部分が持っていたスパーロボット的な部分が改悪されてしまったと感じます。それはまだ個人的な嗜好だとしても、見ている側に人間関係の醸成を感じさせるための「間」があまりにも多く削られてしまっているのはこの映画が、少なくとも序に限ってはダイジェスト的なものに過ぎないという意見を持つのに十分なのではないでしょうか。エヴァが痛い信者を量産できたのは、まさにこの作品が登場人物同士のドラマに重点を置いていたからだと私は思っています。地に立っていないシンジが家族を手に入れることで一度は普通の少年らしさを取り戻しながらも、第13使徒との戦いで父に裏切られることによって再び極端に自閉気味な少年に戻ってしまう。そうして一旦、周りの世界を遠ざけたシンジが、しかし再び旧劇場版、最終回の中で他者との関わりの中で生きていくことを決意する。エヴァはそういった繰り返しの物語で、ここに親子の、アスカサイドでは母子の物語をリンクさせていったうまさこそがエヴァの魅力なんじゃないですかね?親を自分と同じ人間、他者として認識できるようになるまでの少年の成長の物語、それがエヴァなんじゃないかと。実際にそうしたことを製作者の方でも語っているのに、その一番大事なところを削って、ヤシマ作戦をどれだけ緻密に描いてもね・・・。CG技術はたしかにすごいものだとは思いますが。
あなたのすぐ後ろにいるエヴァ厨に気をつけてください。
ps | Commented : 2007/10/19 18:57 編集・削除